サバトのタンゴ

今日、中庭に上場したタンゴの作詞者はエルネスト・サバト。説明に書いたように、アルゼンチンを代表する作家の一人です。

彼が、自分の長編小説の主人公の一人だけを抜き出して、タンゴの歌詞を作ったことに驚くが、考えてみると、サバトは長編を出した後に、その補完的な短編や随筆を書いていることが多いので、そんな流れの一つかと思っています。

なお、発表年を考えると、サバトと対照的な文筆家とされるホルヘ・ボルヘスが、前年の1965年、作曲家、演奏家のアストル・ピアソラと歌手・表現者のエドムンド・リベロと組んでEL TANGOという組曲を出しています。これは書き下しですが。

そのことがサバトを刺激して、1965年の「ラバジェの退却と死」のフォルクロレの詩の朗読や、1966年の「アレハンドラ」のタンゴに繋がったのかとも思います。ま、下司の勘繰りかもしれませんがね。ふと想像を掻き立てられて…。

なお、レサマ公園は、近年タンゴの野外演奏会などが行われていたが、今でもやっているのだろうか。その意味で懐かしい名前であった。

 

サバトのタンゴ」への2件のフィードバック

  1. サバトの小説introduccion a heroes y tumbasに
    ピアソラが曲を書き、サバト自身の素晴らしい朗読
    がありますね、、、不思議な世界に連れ込まれる。
    このレコードはピアソラーボルヘスの“エル・タンゴ”より
    一年前の録音です。小生はこのLpをベルグラーノの
    古本屋で発見したのです。確か71年2月頃でした。
    68年新宿の日立ホールでの中南米レコードコンサートで
    このLpの一番初めの曲”ロ・ケ・ベンドラ”を聞いてピアソラ
    フアンになったのです。

  2. ご存知と思いますが、そのレコードは、1963年に発売されたもので、後に1976年、日本でも発売になりました。サバトの語りについても高場さんが対訳を付けていますね。
    サバトの小説の初版が1961年ですから、宣伝も兼ねていたのでしょうね。この小説がイタリアから人気が出始めたのが1965年ですから、それなりに効果もあったのでしょうか。下司の勘繰りですか。
    アレハンドラの解説に加えようかと思ったのですが、ちょっと怪しげな部分を強調しているので、躊躇っている内に、解説に書くのを忘れてしまいました。ご指摘されて思い出した次第です。
    なお、Introducción…は、曲名で小説名はSobre…ですね。
    コメントありがとうございました。ただ、出来れば投稿欄に書いて頂ければ、表紙にタイトルが載りますので…。よろしく。

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