“Vida Mia”の訳はずばり「我が人生」でよいのではないでしょうか? 歌詞内容は自分の人生を大草原の1本の道を歩む自分にたとえているように思えます。そして重要なのは歌詞の最後の部分で、大草原に日が暮れるというのはまさに人生の終わりを意味していると思われます。日が沈むと星が現れ始めるというのは自分の周囲の人々が次第に世を去ってゆくことであり、最後は自分も星の1つになる=自分の死で終わると考えられます。とするとこの曲は言われているように甘美な歌ではなく、実は非常にシリアスな内容であり、それ故にアルゼンチンの多くの歌手が取り上げており、アルゼンチンの人々にとっては心の歌になっているのではないか、 そして多くの歌手が最後の部分を歌っていないのは、まさにそれが「死」を意味しているからではないか、と私は思いますが、いかがでしょうか?
ご意見拝見しました。この手の題名は色々に訳せるので難しいです。それで最近はカタカナで書くことで逃げていますがね。
御説はもっともです。ただ、楽人はミニ通信の頃「わが命の君」と訳していたように、その同じ流れで聞いています。
それは、アルゼンチンでは評論家プリオレを始めとして、分類をTango canción románticoにしていることと、安直ですが、フレセドの楽譜の表紙が、女性の顔にかけてVida míaと書いてあることからです。
そんな訳で、現在に至っていますが、また考えて見ます。フレセドの演奏だけでも数ありますが、ライ、セルパ、パチェコ、ティト・スキッパ、ペドロ・バルガスなど引っ張り出して聞いてみましょうか。今は、歌なしでディジー・ギャレスビーとの共演を聴きながら書いています。
急には結論は出ないと思いますので、ゆっくりお待ちください。
御来遊ありがとうございました。