plantelの意味について

最近、あるタンゴ関係の資料の中でplantelという単語に引っかかりました。前後の文脈からするとタンゴ楽団のメンバーを意味しているようですが、手元の辞書には「苗床、養成所、保育園」とあり、意味がまるで通じません。todotangoのサイトのルンファルド辞書には「フットボールクラブが利用のために配置する競技者、名手」といった説明がありますが、音楽とは関係なさそうです。plantelがタンゴ関係で何を意味するのかお教えください。

“Vida Mia”はずばり「我が人生」でよいのではないでしょうか?

“Vida Mia”の訳はずばり「我が人生」でよいのではないでしょうか? 歌詞内容は自分の人生を大草原の1本の道を歩む自分にたとえているように思えます。そして重要なのは歌詞の最後の部分で、大草原に日が暮れるというのはまさに人生の終わりを意味していると思われます。日が沈むと星が現れ始めるというのは自分の周囲の人々が次第に世を去ってゆくことであり、最後は自分も星の1つになる=自分の死で終わると考えられます。とするとこの曲は言われているように甘美な歌ではなく、実は非常にシリアスな内容であり、それ故にアルゼンチンの多くの歌手が取り上げており、アルゼンチンの人々にとっては心の歌になっているのではないか、 そして多くの歌手が最後の部分を歌っていないのは、まさにそれが「死」を意味しているからではないか、と私は思いますが、いかがでしょうか?

不躾な質問ですが

不躾な質問をお許しください。探戈楽人さんはMensajeの訳詞の中で冒頭の「Hoy, que no estoy」を「今日、私はしていない」と訳されておられますが、ここは単純に「今日、私は居ない」、または少し意訳して「今日、私はこの世に居ない」でよいのではないでしょうか? 言い換えれば有名なハムレットのセリフの「To be or not to be」の「Not to be」の意味ではないかと思いますが、いかがでしょうか? それでこの歌詞全体はカスティジョによるディセポロの遺書の代筆になっているのではないかと思いますが、いかがでしょうか?