今朝、上場をしていると、傍のTVがオリンピックの開会式の開始を告げた。訳に苦戦していたので、音だけで聞いていたが、賑やかなもの。
上場し終って、オリンピック関係のタンゴがあったかなと、思案して見た。訳に出て来た記憶がないのだが、手元のあまり多くもない音盤たちの中に、2曲、それらしき題名のタンゴがあった。
フリオ・デ・カロ楽団が1927年に録音したOlimpiaと、フランシスコ・ロムト楽団が1928年に録音したOlimpicosです。
ただ、Olimpiaは、オリンピック発祥の地と言われる都市の名前だが、この曲には、リオ・デ・ジャネイロと言う副題がある。しかも、手元には歌った録音がないが、歌詞がある。それを読んでみると、どうも、ある女性のことを歌っている。つまりオリンピアがその女性の名前かのように読めるのです。歌詞の中には出てこないので明確ではないのですがね。
もう一曲は形容詞ではあるが、「オリンピックの」という意味があり、更には1928年に、オランダのアムステルダムでオリンピック大会が開かれているので、さては…とは思うが決め手もない。これにも歌詞があるようなのだが、見つからないし…どなたかご存知ないですかね。
個人主義的なところが多いアルゼンチンなので、あまり国を挙げてのオリンピックなどの騒ぎはないようなところもあるので、どんなものなのでしょうね。
ま、今朝のTVのお蔭で、歌のない2曲を久し振りに聞くことができました。今度は猛暑が襲ってきているわが国、みなさん、熱中症にはお気を付け下さい。
タンゴの曲ではありませんが、作曲者・作詞家のカトゥーロ・カスティージョは若い時にボクシングに熱中していて、1924年のアムステルダム・オリンピックに出場したことがあるそうです。結果はわかりませんが、多分負けてしまったのでしょう。(出典:高山正彦、「タンゴ」及び「タンゴ随筆」
面白いお話のご紹介、ありがとうございます。
ただ、1924年アムステルダムと言うのは、高山さんの間違いでしょうね。この年はパリの開催でしたから。
なお、ついでなので、散歩者のみなさんのために、アルゼンチンとオリンピックの関係を若干書いて置きます。
アルゼンチンは1900年のパリ大会からオリンピックに参加しています。これまでに夏季大会だけで、77個のメダルを獲得しています。内金メダルは17個です。なお、その内24個がボクシングによるものです。
年度別では1928年(アムステルダム)、1936年(ベルリン)、1948年(ロンドン)でメダル7個ずつを獲得しています。
なお、冬季大会は、第2回のサン・モリッツ(スイス)から参加していますが、まだメダルは獲っていません。
以上、簡単ですが、アルゼンチンのオリンピックとの関係を書いて置きました。
齋藤さんのコメント欄を借用する格好になって失礼しました。
ありがとうございます。間違いはアムステルダム→パリか、1924年→1928年のどちらかでしょうが、カスティージョの活躍した時代を考えると1928年はまずありえなく、パリ・オリンピックでしょう。
どこかで見た記憶があり、探したところ、1989年頃発行されたペニャの機関誌Cuadernos de difusion del Tangoの第1号に、Tito Giglioと言う人が、Cátulo Castilloの題でその人物記を書いています。
その本文の注記の形で「カトゥロの別の顔…それはボクシングに関する適性の問題があること。彼は熱心にトレーニングして国内チャンピオンになり、それで1924年のオリンピックにあらかじめシードされた。それはアムステルダムで開催される予定のもの」とあるのです。
これは、既にあった文章からの転載のようですので、恐らく高山さんが読まれたものと出典が同じなのだと思います。
つまり、アルゼンチンでの記述に間違いがあったのですね。
高山さんが間違えたのではと失礼なことを書いたので、その言訂正のために書かせて頂きました。
なお、1924年と言えば、カスティジョ親子がOrganito de la tardeをコンクールに出した年ですね。実際に選手になったのでしょうか。
さらに立ち入っての詳細な調査をありがとうございます。非常に勉強になりました。