“Vida Mia”はずばり「我が人生」でよいのではないでしょうか?

“Vida Mia”の訳はずばり「我が人生」でよいのではないでしょうか? 歌詞内容は自分の人生を大草原の1本の道を歩む自分にたとえているように思えます。そして重要なのは歌詞の最後の部分で、大草原に日が暮れるというのはまさに人生の終わりを意味していると思われます。日が沈むと星が現れ始めるというのは自分の周囲の人々が次第に世を去ってゆくことであり、最後は自分も星の1つになる=自分の死で終わると考えられます。とするとこの曲は言われているように甘美な歌ではなく、実は非常にシリアスな内容であり、それ故にアルゼンチンの多くの歌手が取り上げており、アルゼンチンの人々にとっては心の歌になっているのではないか、 そして多くの歌手が最後の部分を歌っていないのは、まさにそれが「死」を意味しているからではないか、と私は思いますが、いかがでしょうか?

敬老の日だそうで

今日は、敬老の日だそうで、町内会から敬老の記念品が届きました。

ありがたいことではあるけれど、なんとなくピンと来ないのです。

どこかにもっと祝うべき人たちがいるのではないかと思ってしまいます。

これは何歳になったら配ると言う規約があるのでしょうかね。

開けて見たら煎茶でした。氷出しにでもして、ありがたく頂戴しましょうかね。まさか、自分に来るとは思っていなかったので。

驚いた一日でした。敬老のタンゴってあるのかどうか。

 

サバトのタンゴ

今日、中庭に上場したタンゴの作詞者はエルネスト・サバト。説明に書いたように、アルゼンチンを代表する作家の一人です。

彼が、自分の長編小説の主人公の一人だけを抜き出して、タンゴの歌詞を作ったことに驚くが、考えてみると、サバトは長編を出した後に、その補完的な短編や随筆を書いていることが多いので、そんな流れの一つかと思っています。

なお、発表年を考えると、サバトと対照的な文筆家とされるホルヘ・ボルヘスが、前年の1965年、作曲家、演奏家のアストル・ピアソラと歌手・表現者のエドムンド・リベロと組んでEL TANGOという組曲を出しています。これは書き下しですが。

そのことがサバトを刺激して、1965年の「ラバジェの退却と死」のフォルクロレの詩の朗読や、1966年の「アレハンドラ」のタンゴに繋がったのかとも思います。ま、下司の勘繰りかもしれませんがね。ふと想像を掻き立てられて…。

なお、レサマ公園は、近年タンゴの野外演奏会などが行われていたが、今でもやっているのだろうか。その意味で懐かしい名前であった。