載せるべきか載せざるべきか

今日の母ものは、ずっと以前から載せずにおいたものです。それは、今は亡きタンゴの先輩たちが、「そんなの載せたら、またタンゴ嫌いが増えるから止めろ」と言っていたからです。

でも、自分が聴いた曲とリクエストが合致した時は、載せようとやってきたので、敢えて載せました。この曲は1928年(昭和3年)に作られ歌われたものです。当時のこととご寛容に願います。

これを聴いた時、小生に浮んだのは「星の流れに」という菊池章子が昭和23年に、映画「こんな女に誰がした」で歌った歌です。特にこの3番の中の「飢えて今頃 妹はどこに…一目会いたや お母さん…」を思い出しましたのです。

1946年(昭和21年)にGHQ命令で公娼制度が廃止され、遊郭などがなくなり、その代替えのように、赤線が生れて2年目の映画でした。その後、1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されて、赤線もなくなったのが、わが国の歴史ですね。

その30年前の、ブエノス・アイレスでの出来事。大目に見て下さい。なお、今回の母の日記念の母物シリーズは、後2曲です。その他の訳は、10月のアルゼンンチンの母の日の週までお待ちください。それではよろしく。

 

リクエストの件承知しました

実は、この歌詞は随分前に訳してあったのですが、諸般の事情で載せて来ませんでした。

それは、Juanito Lagunaの原作者の書いたものを読む必要がある気持ちがしたからです。これは、彼の原作の主人公の少年がとても人気があったことから、おもにフォルクロレ界の人たちが、彼を主人公にした曲を競作したのです。一説には10曲あるとも言いますが、手元にはそれほどありません。

その中の一曲が、今回のリクエストのものですが、ピアソラと言うこともあり、「フアニト・ラグナ、川で水浴びをする」を載せた後、すぐに訳したのですが、リクエストがある訳でもないし、フアニトのことも良く知らないのでと、原作を読んでからと考えたのです。

ま、歳のせいもあり、他のリクエストに追われて、放り出してありました。今回のリクエストを機会に、どれかのリクエストの順序の間に載せることにします。少々お待ち下さい。 よろしく。

広島67年目の原爆の日

毎年のことだが、また原爆の日が来ました。楽人が中学校1年生の時のことだから、何かがないと亡失して暮しています。

その償いもあって、近年、この日には、必ず聞くアルゼンチンの曲があります。それは、Hiroshimaと言う名が入っている2曲です。

Las voces de los pajaros de Hirosima(広島の鳥の声)歌:ヒナマリア・イダルゴ。El 45(1945年)歌:スサナ・リナルディ。

後者は、歌詞の中に広島の名があり、原爆の悲惨なニュースがあり、私たちと同じ15歳の少女たちが大勢死にました、と言う意味のことが掛れています。(中庭に上場してあります。)

前者は、原爆の落とされた広島の上を飛ぶ鳥の声を歌っているものです。フォルクロレ畑の女性歌手のせいか、タンゴファンからが、まだこの歌のリクエストがないので上場していませんが。

その他にも、題名か歌詞に広島の語の入った曲があったら、ご教示下さい。

今朝の上場は、別に考えた訳ではないのですが、Japonesita(可愛い日本娘)になりました。芸者が登場しますが、この他にも、トリオ・モレスのMi geisha triste(私の悲しい芸者)(元歌は古賀政男作の「青い背広で」という芸者入りの曲があり、リクエストを受けていますが、聞き取り出来ない部分があり、果たせないでいます。この欄を借りてごめんなさい。

 

上場するかしないか

今日、中庭に上場した「Tamar」については、結構考えました。ある意味でブエノス・アイレスの恥部を歌っているからです。

だけど、いくら綺麗事を並べても、タンゴが昔生れた場所であるので、3年越しに上場して見ました。

これを上場して読み直していて、突然アメリカ映画「Naked tango」を思い出しました。1990年(亜国など1991年とするも多い)の作品ですが、内容は、この歌に類似しているので、省略して置きます。

因みにアルゼンチンでは「Tango desnudo」、わが国では「裸のタンゴ」と言う訳題でした。

当時は、女性タンゴフアンには、顰蹙ものでした。この曲もそうかもしれませんね。仕方ないです。

ロンドンのオリンピック始まる

今朝、上場をしていると、傍のTVがオリンピックの開会式の開始を告げた。訳に苦戦していたので、音だけで聞いていたが、賑やかなもの。

上場し終って、オリンピック関係のタンゴがあったかなと、思案して見た。訳に出て来た記憶がないのだが、手元のあまり多くもない音盤たちの中に、2曲、それらしき題名のタンゴがあった。

フリオ・デ・カロ楽団が1927年に録音したOlimpiaと、フランシスコ・ロムト楽団が1928年に録音したOlimpicosです。

ただ、Olimpiaは、オリンピック発祥の地と言われる都市の名前だが、この曲には、リオ・デ・ジャネイロと言う副題がある。しかも、手元には歌った録音がないが、歌詞がある。それを読んでみると、どうも、ある女性のことを歌っている。つまりオリンピアがその女性の名前かのように読めるのです。歌詞の中には出てこないので明確ではないのですがね。

もう一曲は形容詞ではあるが、「オリンピックの」という意味があり、更には1928年に、オランダのアムステルダムでオリンピック大会が開かれているので、さては…とは思うが決め手もない。これにも歌詞があるようなのだが、見つからないし…どなたかご存知ないですかね。

個人主義的なところが多いアルゼンチンなので、あまり国を挙げてのオリンピックなどの騒ぎはないようなところもあるので、どんなものなのでしょうね。

ま、今朝のTVのお蔭で、歌のない2曲を久し振りに聞くことができました。今度は猛暑が襲ってきているわが国、みなさん、熱中症にはお気を付け下さい。

ガルデルの命日なので

今日は、ガルデルの命日。美空ひばりも同じ命日なので、ホセ・コランジェロが自作のタンゴの題名を6月24日に変更したことは、良く知られている。

それで、ここまでガルデルの歌唱した曲の訳を載せて来ましたが、今日は、死後、彼に真っ先に贈られた曲の訳を載せておきます。

その後、ガルデルに贈られた曲は数ありますが、死後12日目に舞台でティタ・メレジョが歌ったと言われる曲です。

これからは、従来の上場形式でいきますので、ガルデル関係でリクエストされていて、今までに掲載されなかった方、ごめんなさい。もう暫くお待ちの程。 それでは、今日も元気でいきますか。

 

 

不躾な質問ですが

不躾な質問をお許しください。探戈楽人さんはMensajeの訳詞の中で冒頭の「Hoy, que no estoy」を「今日、私はしていない」と訳されておられますが、ここは単純に「今日、私は居ない」、または少し意訳して「今日、私はこの世に居ない」でよいのではないでしょうか? 言い換えれば有名なハムレットのセリフの「To be or not to be」の「Not to be」の意味ではないかと思いますが、いかがでしょうか? それでこの歌詞全体はカスティジョによるディセポロの遺書の代筆になっているのではないかと思いますが、いかがでしょうか?