サバトのタンゴ

今日、中庭に上場したタンゴの作詞者はエルネスト・サバト。説明に書いたように、アルゼンチンを代表する作家の一人です。

彼が、自分の長編小説の主人公の一人だけを抜き出して、タンゴの歌詞を作ったことに驚くが、考えてみると、サバトは長編を出した後に、その補完的な短編や随筆を書いていることが多いので、そんな流れの一つかと思っています。

なお、発表年を考えると、サバトと対照的な文筆家とされるホルヘ・ボルヘスが、前年の1965年、作曲家、演奏家のアストル・ピアソラと歌手・表現者のエドムンド・リベロと組んでEL TANGOという組曲を出しています。これは書き下しですが。

そのことがサバトを刺激して、1965年の「ラバジェの退却と死」のフォルクロレの詩の朗読や、1966年の「アレハンドラ」のタンゴに繋がったのかとも思います。ま、下司の勘繰りかもしれませんがね。ふと想像を掻き立てられて…。

なお、レサマ公園は、近年タンゴの野外演奏会などが行われていたが、今でもやっているのだろうか。その意味で懐かしい名前であった。

 

やっと喉の骨が取れて

まだまだ暑い夏が続いていますが、お元気ですか。

昔(?)のタンゴ・ミニ通信の頃から、喉に引っ掛かったような疑問がありました。それは、1933年、純アルゼンチン製の長編映画「タンゴ」の中の一つの曲についてです。その中で23曲のタンゴが演奏されているのですが、その内の21曲目でリベルタ・ラマルケが歌う曲の題名が不明だったことです。

ラマルケがレコードを出していなかったことや、当時から近年に至るまで目にした亜国の映画の本でも、題名不詳になっていたので、ミニ通信では、題名不詳にしていました。

それが数年前に、友人からシリアコ・オルティス楽団でカルロス・ラフェンテが歌っているエストリビジョを聞かせてもらい、どこかで聞いた曲だなと思っていましたが、直ぐには映画と結びつきませんでした。

丁度その頃、フワン・アンヘル・ルッソという人の編纂したタンゴ集を頂戴して読んでいた処、Noviecitaと言う曲に出会い、それがリベルタ・ラマルケが映画で歌った曲であり、カルロス・ラフェンテの歌がその1連だということが分ったのです。

その後、リクエストもなく、延び延びになって来ましたが、今朝上場して見ました。目下、映画のその部分を聴きながら、長い間、不明のままにして来た、喉の骨が取れた思いです。

例によって、小学生の作文的直訳ですが、ご判読頂ければ幸いです。

追記:上場後、中庭散歩者から連絡があり、本体の歌詞の題名が昔載せた別の題名になっていました。早い時間にご覧になった方はAmor te cantoの題名を見られたと思います。ご免なさい。今は訂正済みです。それでは、よろしく。

 

 

約束忘れて

奇数日の今日、上場がありましたが、実は、昨日楽人がポカをした所為なのです。

今日、使用したいので、訳を載せて置いてとご依頼があったのですが、昨日、うっかりして上場するのを忘れて、別の訳を載せたのです。

それで、急遽今朝上場した次第です。リクエストされた方、失礼しました。いつもの散歩者の方々には、驚かせてご免なさい。

明日?明日は、今日上場したことを忘れていたら載せるかもしれません。明日は明日の風が吹くです。それでは、また…

 

広島67年目の原爆の日

毎年のことだが、また原爆の日が来ました。楽人が中学校1年生の時のことだから、何かがないと亡失して暮しています。

その償いもあって、近年、この日には、必ず聞くアルゼンチンの曲があります。それは、Hiroshimaと言う名が入っている2曲です。

Las voces de los pajaros de Hirosima(広島の鳥の声)歌:ヒナマリア・イダルゴ。El 45(1945年)歌:スサナ・リナルディ。

後者は、歌詞の中に広島の名があり、原爆の悲惨なニュースがあり、私たちと同じ15歳の少女たちが大勢死にました、と言う意味のことが掛れています。(中庭に上場してあります。)

前者は、原爆の落とされた広島の上を飛ぶ鳥の声を歌っているものです。フォルクロレ畑の女性歌手のせいか、タンゴファンからが、まだこの歌のリクエストがないので上場していませんが。

その他にも、題名か歌詞に広島の語の入った曲があったら、ご教示下さい。

今朝の上場は、別に考えた訳ではないのですが、Japonesita(可愛い日本娘)になりました。芸者が登場しますが、この他にも、トリオ・モレスのMi geisha triste(私の悲しい芸者)(元歌は古賀政男作の「青い背広で」という芸者入りの曲があり、リクエストを受けていますが、聞き取り出来ない部分があり、果たせないでいます。この欄を借りてごめんなさい。

 

上場するかしないか

今日、中庭に上場した「Tamar」については、結構考えました。ある意味でブエノス・アイレスの恥部を歌っているからです。

だけど、いくら綺麗事を並べても、タンゴが昔生れた場所であるので、3年越しに上場して見ました。

これを上場して読み直していて、突然アメリカ映画「Naked tango」を思い出しました。1990年(亜国など1991年とするも多い)の作品ですが、内容は、この歌に類似しているので、省略して置きます。

因みにアルゼンチンでは「Tango desnudo」、わが国では「裸のタンゴ」と言う訳題でした。

当時は、女性タンゴフアンには、顰蹙ものでした。この曲もそうかもしれませんね。仕方ないです。

ロンドンのオリンピック始まる

今朝、上場をしていると、傍のTVがオリンピックの開会式の開始を告げた。訳に苦戦していたので、音だけで聞いていたが、賑やかなもの。

上場し終って、オリンピック関係のタンゴがあったかなと、思案して見た。訳に出て来た記憶がないのだが、手元のあまり多くもない音盤たちの中に、2曲、それらしき題名のタンゴがあった。

フリオ・デ・カロ楽団が1927年に録音したOlimpiaと、フランシスコ・ロムト楽団が1928年に録音したOlimpicosです。

ただ、Olimpiaは、オリンピック発祥の地と言われる都市の名前だが、この曲には、リオ・デ・ジャネイロと言う副題がある。しかも、手元には歌った録音がないが、歌詞がある。それを読んでみると、どうも、ある女性のことを歌っている。つまりオリンピアがその女性の名前かのように読めるのです。歌詞の中には出てこないので明確ではないのですがね。

もう一曲は形容詞ではあるが、「オリンピックの」という意味があり、更には1928年に、オランダのアムステルダムでオリンピック大会が開かれているので、さては…とは思うが決め手もない。これにも歌詞があるようなのだが、見つからないし…どなたかご存知ないですかね。

個人主義的なところが多いアルゼンチンなので、あまり国を挙げてのオリンピックなどの騒ぎはないようなところもあるので、どんなものなのでしょうね。

ま、今朝のTVのお蔭で、歌のない2曲を久し振りに聞くことができました。今度は猛暑が襲ってきているわが国、みなさん、熱中症にはお気を付け下さい。

ガルデルの命日なので

今日は、ガルデルの命日。美空ひばりも同じ命日なので、ホセ・コランジェロが自作のタンゴの題名を6月24日に変更したことは、良く知られている。

それで、ここまでガルデルの歌唱した曲の訳を載せて来ましたが、今日は、死後、彼に真っ先に贈られた曲の訳を載せておきます。

その後、ガルデルに贈られた曲は数ありますが、死後12日目に舞台でティタ・メレジョが歌ったと言われる曲です。

これからは、従来の上場形式でいきますので、ガルデル関係でリクエストされていて、今までに掲載されなかった方、ごめんなさい。もう暫くお待ちの程。 それでは、今日も元気でいきますか。