“Vida Mia”はずばり「我が人生」でよいのではないでしょうか?

“Vida Mia”の訳はずばり「我が人生」でよいのではないでしょうか? 歌詞内容は自分の人生を大草原の1本の道を歩む自分にたとえているように思えます。そして重要なのは歌詞の最後の部分で、大草原に日が暮れるというのはまさに人生の終わりを意味していると思われます。日が沈むと星が現れ始めるというのは自分の周囲の人々が次第に世を去ってゆくことであり、最後は自分も星の1つになる=自分の死で終わると考えられます。とするとこの曲は言われているように甘美な歌ではなく、実は非常にシリアスな内容であり、それ故にアルゼンチンの多くの歌手が取り上げており、アルゼンチンの人々にとっては心の歌になっているのではないか、 そして多くの歌手が最後の部分を歌っていないのは、まさにそれが「死」を意味しているからではないか、と私は思いますが、いかがでしょうか?

サバトのタンゴ

今日、中庭に上場したタンゴの作詞者はエルネスト・サバト。説明に書いたように、アルゼンチンを代表する作家の一人です。

彼が、自分の長編小説の主人公の一人だけを抜き出して、タンゴの歌詞を作ったことに驚くが、考えてみると、サバトは長編を出した後に、その補完的な短編や随筆を書いていることが多いので、そんな流れの一つかと思っています。

なお、発表年を考えると、サバトと対照的な文筆家とされるホルヘ・ボルヘスが、前年の1965年、作曲家、演奏家のアストル・ピアソラと歌手・表現者のエドムンド・リベロと組んでEL TANGOという組曲を出しています。これは書き下しですが。

そのことがサバトを刺激して、1965年の「ラバジェの退却と死」のフォルクロレの詩の朗読や、1966年の「アレハンドラ」のタンゴに繋がったのかとも思います。ま、下司の勘繰りかもしれませんがね。ふと想像を掻き立てられて…。

なお、レサマ公園は、近年タンゴの野外演奏会などが行われていたが、今でもやっているのだろうか。その意味で懐かしい名前であった。

 

やっと喉の骨が取れて

まだまだ暑い夏が続いていますが、お元気ですか。

昔(?)のタンゴ・ミニ通信の頃から、喉に引っ掛かったような疑問がありました。それは、1933年、純アルゼンチン製の長編映画「タンゴ」の中の一つの曲についてです。その中で23曲のタンゴが演奏されているのですが、その内の21曲目でリベルタ・ラマルケが歌う曲の題名が不明だったことです。

ラマルケがレコードを出していなかったことや、当時から近年に至るまで目にした亜国の映画の本でも、題名不詳になっていたので、ミニ通信では、題名不詳にしていました。

それが数年前に、友人からシリアコ・オルティス楽団でカルロス・ラフェンテが歌っているエストリビジョを聞かせてもらい、どこかで聞いた曲だなと思っていましたが、直ぐには映画と結びつきませんでした。

丁度その頃、フワン・アンヘル・ルッソという人の編纂したタンゴ集を頂戴して読んでいた処、Noviecitaと言う曲に出会い、それがリベルタ・ラマルケが映画で歌った曲であり、カルロス・ラフェンテの歌がその1連だということが分ったのです。

その後、リクエストもなく、延び延びになって来ましたが、今朝上場して見ました。目下、映画のその部分を聴きながら、長い間、不明のままにして来た、喉の骨が取れた思いです。

例によって、小学生の作文的直訳ですが、ご判読頂ければ幸いです。

追記:上場後、中庭散歩者から連絡があり、本体の歌詞の題名が昔載せた別の題名になっていました。早い時間にご覧になった方はAmor te cantoの題名を見られたと思います。ご免なさい。今は訂正済みです。それでは、よろしく。

 

 

広島67年目の原爆の日

毎年のことだが、また原爆の日が来ました。楽人が中学校1年生の時のことだから、何かがないと亡失して暮しています。

その償いもあって、近年、この日には、必ず聞くアルゼンチンの曲があります。それは、Hiroshimaと言う名が入っている2曲です。

Las voces de los pajaros de Hirosima(広島の鳥の声)歌:ヒナマリア・イダルゴ。El 45(1945年)歌:スサナ・リナルディ。

後者は、歌詞の中に広島の名があり、原爆の悲惨なニュースがあり、私たちと同じ15歳の少女たちが大勢死にました、と言う意味のことが掛れています。(中庭に上場してあります。)

前者は、原爆の落とされた広島の上を飛ぶ鳥の声を歌っているものです。フォルクロレ畑の女性歌手のせいか、タンゴファンからが、まだこの歌のリクエストがないので上場していませんが。

その他にも、題名か歌詞に広島の語の入った曲があったら、ご教示下さい。

今朝の上場は、別に考えた訳ではないのですが、Japonesita(可愛い日本娘)になりました。芸者が登場しますが、この他にも、トリオ・モレスのMi geisha triste(私の悲しい芸者)(元歌は古賀政男作の「青い背広で」という芸者入りの曲があり、リクエストを受けていますが、聞き取り出来ない部分があり、果たせないでいます。この欄を借りてごめんなさい。

 

上場するかしないか

今日、中庭に上場した「Tamar」については、結構考えました。ある意味でブエノス・アイレスの恥部を歌っているからです。

だけど、いくら綺麗事を並べても、タンゴが昔生れた場所であるので、3年越しに上場して見ました。

これを上場して読み直していて、突然アメリカ映画「Naked tango」を思い出しました。1990年(亜国など1991年とするも多い)の作品ですが、内容は、この歌に類似しているので、省略して置きます。

因みにアルゼンチンでは「Tango desnudo」、わが国では「裸のタンゴ」と言う訳題でした。

当時は、女性タンゴフアンには、顰蹙ものでした。この曲もそうかもしれませんね。仕方ないです。

ガルデルの命日なので

今日は、ガルデルの命日。美空ひばりも同じ命日なので、ホセ・コランジェロが自作のタンゴの題名を6月24日に変更したことは、良く知られている。

それで、ここまでガルデルの歌唱した曲の訳を載せて来ましたが、今日は、死後、彼に真っ先に贈られた曲の訳を載せておきます。

その後、ガルデルに贈られた曲は数ありますが、死後12日目に舞台でティタ・メレジョが歌ったと言われる曲です。

これからは、従来の上場形式でいきますので、ガルデル関係でリクエストされていて、今までに掲載されなかった方、ごめんなさい。もう暫くお待ちの程。 それでは、今日も元気でいきますか。

 

 

ガルデルの命日があるので

個人的に、色々あって、散歩道も疎遠になっていました。ごめんなさい。

今月は、ガルデルの命日(6月24日)があるので、難解なので、後回しにしてきた、ガルデルが歌った曲を、幾つか載せてみます。

初期の頃のタンゴの歌が、3分間のドラマとかお話と言われた時期がかいま見られると思います。

俗語だらけ、当時の人物たちの登場などで、未だに手に負えないものもありますが、少々リクエストの積み残しの解消になればと思います。

札幌も、よさこいソーラン祭りも終り、間もなく初夏を告げる北海道神宮の祭りが始まります。遅い夏が近づいて来るのを感じます。

本州などは、梅雨の季節でしょうか。みなさん、お元気で。では、また。